町の歴史

まちの歴史

西暦(和暦) 項目

1906(明治39)年

  • 「中川村」の名称誕生(現在の音威子府村を含む)。
  • 上名寄村外3ヶ村戸長役場となる。
  • 岩田栄次郎氏が臨時派出所長に就任する。
  • 私立同志教育所(簡易教育所の前身)が誉平(現誉二)に設置される。
  • 遠富内(現大富)、誉平(現誉二)、宇戸内(現歌内)、仁尾(現豊里)に簡易教育所が設置される。

1907(明治40)年

  • 「下名寄村外3ヶ村戸長役場」が現在の美深町に設置され、中川村はこの役場の管轄となる。
  • アベシナイ(現安川三)、遠富内(現大富)に官設駅逓所が認可される。
  • アベシナイ(現安川三)に安平志内簡易教育所が認可され、仁尾簡易教育所が廃止される。
  • 誉平(現誉二)に「旭川警察署名寄分署誉平駐在所」、「誉平郵便局」、「東北帝国大学農科大学天塩演習林誉平看守所(現北大中川研究林)」が設置される。
  • 宇戸内簡易教育所が開校する。

1908(明治41)年

  • 仮定県道天塩線(現国道40号線)が中川村に敷設される。
  • 「宮内庁御料局札幌支庁臨時天塩派出所」が廃止され、「帝室林野管理局札幌支庁中川出張所」が設置される。
  • 「誉平森林監守駐在所」が設置される。

1909(明治42)年

  • 誉平、安平志内、遠富内の各簡易教育所が、尋常小学校に昇格する。
  • 天塩川で大洪水が発生する。
  • 誉平教会(キリスト教中川教会)が設置される。

1910(明治43)年

  • 志文内特別教授所が設置される。
  • 中川神社として小祠が建立される。

1911(明治44)年

  • 板谷宮吉氏が、国有林開地1,303.6haの売り払いを受ける。

1912(大正元)年

  • 中川村に戸長役場が開庁し、専任初代戸長に藤惣治が就任する。
  • 鉄道が音威子府まで開通する。
  • アベシナイに官設の渡船場が開設される。

1914(大正3)年

  • 専任二代戸長に武智宗雄氏が就任する。
  • 「信用購買組合(産業組合の前身)」が、誉平(現誉)、中央、遠富内(現大富)、咲来(現音威子府村咲来)に組織される。
  • 「私設誉平消防組」が組織される。
  • 志文内特別教授所が志文内簡易教育所となる。
  • 帝室林野管理局札幌支庁中川出張所長事務取扱に三浦元一が就任し、その後、井口元一郎氏が所長に就任する。

1916(大正5)年

  • 専務三代戸長に、諏訪和一郎氏が就任する。
  • 常盤村(現音威子府村)が分村する(3,287人)。
  • 志文内簡易教育所が志文内尋常小学校となる。
  • 中川村農会が発足し、上川郡農会に加入する。
  • ピンネシリ街道が完成する。

1917(大正6)年

  • 天塩線(現宗谷本線)の音威子府—誉平間工事が着工する。
  • 「志文内尋常小学校板谷特別教授場」が開校する。

1918(大正7)年

  • 「公立ホロムイ特別教授所(後の神路小学校)」が設置される。
  • 巡査斉藤高範氏が殉職する。
  • 澱粉工場が乱立する。

1919(大正8)年

  • 二級町村制が施行され「中川村役場」となり、初代村長に諏訪真彦氏が就任する。
  • 第1回村会議員選挙が行われる(定員10名)。
  • 部長制度が発足する(13部)。

1920(大正9)年

  • 誉平、佐久両市街の区画測量が行われる。

1921(大正10)年

  • 「河川監守中川村駐在所」が設置される。
  • 「名寄営林署佐久担当区事務所」が設置される。

1922(大正11)年

  • 「志文内係配所」が設置される。
  • 天塩線が誉平駅まで開通し、誉平、佐久、神路の各駅が開設される。
  • 誉平郵便局が新市街(現中川市街)に移転する。

1923(大正12)年

  • 二代村長に鷲見治平氏が就任する。
  • 部長制度改正により16部となる。
  • 「帝室林野管理局札幌支庁中川出張所」が廃止される。
  • 誉平小学校、役場庁舎が新市街に移転する。
  • 「誉平巡査駐在所」が新市街に移転する。
  • 宇戸内駅(現歌内駅)が開設される。

1924(大正13)年

  • 中川村に所在する御料地は、内務省に所管換えとなり、天塩営林署管轄となる。
  • 「誉平公設消防組」の設置が認可される。
  • 補助乳牛エアーシャー22頭が、岩手県から遠富内地区に導入される。
  • 加藤平三郎が蒸気機関による動力木工場をはじめる。
  • 御料地の払い下げが完了する(5,847ha)。

1925(大正14)年

  • 三代村長に千田貞二氏が就任する。
  • 佐久橋(木橋)が完成する。

1926(昭和元)年

  • 板谷に官設の駅逓所が設置される。
  • 安平志内郵便局が新市街(現佐久市街)に移転する。

1927(昭和2)年

  • 村会議員選挙が行われる。
  • アベシナイ(現安川)原野(26戸、129人)、ポンピラ(現誉)原野(18戸、111人)に移住が行われる。

1928(昭和3)年

  • 遠富内橋の架設工事が竣工する。
  • 部制から区制に改正される(17区)。
  • 四代村長に千葉孝喜次氏が就任する。
  • アベシナイ(現安川)原野19戸、ポンピラ(現誉)原野8戸が移住する。
  • 開村25周年記念祭が挙行される。

1929(昭和4)年

  • 五代村長に川越武躬氏が就任する。
  • アベシナイ(現安川)原野2戸、板谷1戸、ワッカウエンベツ(現大和)30戸、チラシナイ(現富和)2戸、ポンピラ(現誉)5戸が移住する。

1930(昭和5)年

  • 「志文内尋常高等小学校稚遠別特別教授所」が、ワッカウエンベツ(現大和)に開設される。
  • 「佐久公設消防組」が開置される。
  • 遠富内(現大富)、志文内(現共和)に酪農組合が設立する。
  • 板谷4戸、ワッカウエンベツ(現大和)9戸、チラシナイ(現富和)5戸が移住する。

1931(昭和6)年

  • 「名寄営林署志文内担当区事務所」が設置される。
  • ワッカウエンベツ官設駅逓所が設置される。

1932(昭和7)年

  • 歌人斎藤茂吉が来村し、歌を残す。
  • 豪雨による大水害のため、大凶作となる。

1933(昭和8)年

  • 瀬尾橋が竣工する。
  • 大洪水により小河川が氾濫する。
  • 「誉平商業組合(申し合わせ組合)」が設立する。
  • 誉平郵便局で電話交換が開始される。

1934(昭和9)年

  • 村章が制定される。
  • 中川神社が、村社への昇格を承認される。
  • 低温により大凶作となる。

1935(昭和10)年

  • 「林産物検査所佐久駐在所」が設置される。
  • 佐久橋(永久橋)が竣工する。

1936(昭和11)年

  • 六代村長に今江武雄氏が就任する。

1937(昭和12)年

  • 村会議員選挙が行われる。
  • 「名寄区裁判所中川出張所(旭川地方法務局出張所)」が開庁する。

1938(昭和13)年

  • 戦死者4名が帰還し、初の村葬が行われる。

1939(昭和14)年

  • 七代村長に峰廻英雄氏が就任する。
  • 警防団令の公布により、消防組が「中川村警防団」となる。
  • 保証責任中川商業組合」が発足する。

1940(昭和15)年

  • 「北海道庁旭川土木現業所誉平治水事業所」が設置される。
  • ウトナイ渡船場(現歌内橋付近)にて渡船が転覆し、通学児童17名と保護者2名が溺死する。
  • 天塩川治水工事が着工し、中市街(現中川橋左岸地区)の家屋14棟の移転がはじまる。

1941(昭和16)年

  • 村名字名改正により、14字名となる。

1942(昭和17)年

  • 「大日本婦人部中川支部」が結成される。
  • 誉平、中央産業組合が合併し、「中川村産業組合」が組織される。
  • 「追補責任中川村森林組合」が組織される。

1943(昭和18)年

  • 「国民健康保険組合」が設立される(中川村信用購買利用組合が事業を代行)。

1944(昭和19)年

  • 八代村長に吉村正忠氏が就任する。

1946(昭和21)年

  • 「中川村遺族会」が発足する。
  • 助役斉藤吉平氏が、村長代理となる。
  • 中川市街に初めて電灯がつく。
  • 「緊急開拓本部」が設置される。

1945(昭和20)年

  • 名寄第二営林署が名寄営林署と改称し、中川村国有林35,369町5反8畝8歩が名寄所管となる。また、佐久、富和、共和、板谷、奥板谷に担当区ができる。
  • 初の公選村長に斉藤吉平氏が就任する。
  • 町内会、部落会を廃止し、24ヶ所の出張所を設置する。
  • 共和地区に役場支所を設置する。

1948(昭和23)年

  • 中川と佐久に「農業協同組合」が設置される。
  • 「中川村酪農業協同組合」が設置される。

1949(昭和24)年

  • 誉一および国府地区に「中川村開拓農業協同組合」が組織される。

1950(昭和25)年

  • 役場庁舎が改築される。
  • 「国府開拓農業協同組合」が組織される。
  • 名寄農業高等学校中川分校(夜間農業科)が設置される。

1951(昭和26)年

  • 村長に斉藤吉平氏が再選される。
  • 中川高等学校(定時制)が単独設置される。
  • 村営の国民健康保険業務を開始する。

1952(昭和27)年

  • 初めての教育委員選考が施行される。

1953(昭和28)年

  • 中川村開拓50周年記念式典が挙行され、「中川町歌」が制定される。
  • 「中川村商工業協同組合」が設立する。
  • 「中川村酪農協同組合製酪工場」が操業を開始する。
  • 中川市街簡易水道が完成する。

1954(昭和29)年

  • 台風15号により、大被害を受ける。

1955(昭和30)年

  • 村長に斉藤吉平氏が三選される。
  • 誉一、国府地区の開拓農業協同組合を合併し、「中川村開拓農業協同組合」として新発足する。
  • 豪雨により、開村以来の大被害となる。

1956(昭和31)年

  • 「地方財政再建推進特別措置法」による財政再建整理町村の指定を受ける。
  • 「共和自警団」が結成される。
  • 「西天北集約酪農地域」の指定を受ける。

1957(昭和32)年

  • 公民館が開設する。
  • 中川橋(永久橋;延長153.5m)が完成する。

1958(昭和33)年

  • 「歌内自警団」が結成される。
  • 第二次さけます増殖5ヶ年計画により、富和地区に「さけます捕獲場」が設置される。

1959(昭和34)年

  • 「へき地教育振興法」による指定町村となる。
  • 村長に岡田国一氏が就任する。
  • 中川市街でテレビ放送が始まる。

1960(昭和35)年

  • 「新農山漁村事業地域」の指定を受ける。
  • 「西天北寒冷畑作振興地域」の指定を受ける。

1961(昭和36)年

  • 「中川村商工会」が設立される。

1962(昭和37)年

  • 台風9、10号によって大被害を受ける。

1963(昭和38)年

  • 村長に岡田国一氏が再選される。
  • 集中豪雨によって、大和地区の全戸(15戸)が離農する。
  • 幸小中学校(大和地区)が廃校となる。
  • 神路大橋が竣工するが、7ヵ月後に落橋する。
  • 「水産庁さけますふ化場中川事業場」が中川二に設置される。

1964(昭和39)年

  • 町制が施行され、町章が制定される。
  • 「中川音頭」「中川小唄」が制定される。
  • 開拓60周年記念式典が挙行される。
  • 老人無料健康診断制度が始まる。

1965(昭和40)年

  • 中川厚生診療所が焼失する。
  • 神路小学校が廃校となる。

1966(昭和41)年

  • 「乳牛2,000頭達成酪農まつり」が行われる。
  • 「松浦木工場佐久工場」が閉鎖となる。
  • 中川中央公民館が新築される。

1967(昭和42)年

  • 町長に岡田国一氏が三選される。
  • 第1回町民運動会が開催される。
  • 国営開拓パイロット事業基本計画樹立地域の指定を受ける。
  • 国道舗装工事が完了する。

1968(昭和43)年

  • 山村振興地域の指定を受ける。
  • 天皇皇后両陛下が、道北巡幸され、天塩中川駅を通過される。
  • 国鉄天塩中川保線支区が設置される。
  • 北海道甜菜経営改善共励会で、豊里地区が農林大臣賞を受賞する。
  • 酪農近代化計画地域の指定を受ける。
  • 積雪寒冷地域の指定を受ける。

1969(昭和44)年

  • 中川高等学校に全日制課程商業化を設置し、北海道中川商業高等学校となる。
  • 「中川町スポーツ少年団」が結成される。
  • 西天北5町衛生施設組合に加入する。

1970(昭和45)年

  • 農業振興地域の指定を受ける。
  • 敬老年金、医療年金制度が77歳以上に制定される。
  • 北海道立林業試験場道北試験地が誉一地区に開設し、国営開拓パイロット事業が着工する。

1971(昭和46)年

  • 町長に岡田国一氏が四選され、町議会議員定数が14名となる。
  • 「過疎地域」の指定を受ける。
  • 「名寄営林署佐久総合担当区事務所」が設置される。
  • 特別豪雪地帯の指定を受ける。
  • 国営草地開発事業基本計画樹立地域の指定を受ける。
  • 上川北部広域市町村圏が結成される。

1972(昭和47)年

  • 老人医療費無料化制度が制定される(70歳以上)。
  • 札幌冬季オリンピックの聖火リレーが通過する。
  • 上川北部消防事務組合に加入し、「中川消防署」が設置される。
  • 学校統合により、中央小学校を設置し、中川小学校と歌内小学校は分教室となる。
  • 中川商業高等学校定時制課程が廃止される。
  • 北海道立林業試験場道北試験地が道北分場に昇格する。

1973(昭和48)年

  • 中川町保健センター(現ポンピラアクアリズイング)がオープンする。
  • 瀬尾橋の架け替え工事が始まる。
  • 「中川商業高等学校」が北海道に移管される。
  • 山村振興第二期対策地域の指定を受ける。
  • 山村開発センター、郷土資料館が完成する。
  • 消防庁舎が完成する。
  • 中央小学校中川分教室、歌内分教室、大富小学校、国府小学校が閉校となる。
  • 救急業務実施町の指定を受ける。
  • 水防管理団体の指定を受ける。

1974(昭和49)年

  • 中央小学校への実質統合が完了する。
  • 国営草地開発事業が着工する。
  • クビナガリュウ化石が発見される。
  • 治水憲章碑が建立される。
  • 開拓70周年、町制施行10周年記念式典が挙行される。
  • 第13回道北文化集会が開催される。
  • 町立中川幼稚園が完成する。
  • 中川歯科診療所が完成する。
  • 板谷小中学校が閉校となる。

1975(昭和50)年

  • 町長に岡田国一氏が五選される。
  • 佐久小学校開校70周年記念式典が挙行される。
  • 台風6号により、佐久橋の橋脚が沈下する。
  • 中川市街の電話が自動化となる。
  • 天塩川国根布浚渫工事が通水となる。
  • 中川商業高等学校創立25周年式典が挙行される。

1976(昭和51)年

  • 新佐久橋が着工となる。
  • 中川町婦人交通防犯連絡会が設立される。
  • 中川中学校校舎と体育館が完成する。
  • 板谷地区山魚沢にて山火事が発生する。

1977(昭和52)年

  • 国営草地放牧場で育成牛の放牧が始まる。
  • 役場庁舎が移転する。
  • 町民憲章が制定される。
  • 町立中川診療所が完成する。
  • 誉大橋が完成する。
  • 佐久中学校校舎と体育館が完成する。
  • 郷土資料館が開館する。
  • 中川消防団が表彰旗を受賞する。

1978(昭和53)年

  • 共和小中学校校舎が完成する。
  • 斎藤茂吉来町記念歌碑が建立される。
  • 町花(ツツジ)、町木(イチイ)が指定される。
  • 第8回名寄地区消防訓練大会が開催される。
  • ロータリークラブが発足する。

1979(昭和54)年

  • 町長に宮本弘氏が当選する。
  • 中川町体育協会10周年記念式典が挙行される。
  • 中川婦人会30周年記念式典が挙行される。
  • 第二次中川町総合振興計画が樹立される。
  • 佐久小学校校舎が完成する。

1980(昭和55)年

  • 交通事故死ゼロ1,000日を達成する。
  • 中川町老人生きがいセンター(寿の家の前身)が完成する。
  • 特別養護老人ホームが着工する。

1981(昭和56)年

  • 特別養護老人ホーム「一心苑」が開苑する。
  • 中川町記録映画の撮影が始まる。
  • 長野県中川村と友好姉妹町村を提携する。
  • 中川町開拓80周年記念行事協賛会が設立される。
  • 集中豪雨により、各所に被害が出る(国道40号線欠損)。
  • 交通事故死ゼロ1,500日を達成する。

1982(昭和57)年

  • 岡田国一氏が名誉町民第1号を受賞する。
  • NHK夏季巡回ラジオ体操が実施される。
  • 中川町開拓80周年記念式典が挙行される。
  • タイムカプセルが埋設される。

1983(昭和58)年

  • 農業者トレーニングセンターが完成する。
  • 町長に宮本弘氏が再選される。
  • 森林公園が完成する。
  • 佐久消防団が竿頭綬を受賞する。

1984(昭和59)年

  • 中川町社会福祉協議会が設立される。
  • 中川町営野球場が完成する。
  • 人道跨線橋が完成する。
  • 中川町宗谷線利用促進合理化阻止協議会が発足する。

1985(昭和60)年

  • 立石宏行氏が第2号名誉町民を受賞する。
  • 町民会館が開館する。
  • 地場産品加工研究センターが完成する。

1986(昭和61)年

  • 中国残留日本人孤児身元引受人自治体として名乗りを上げる。
  • 横路知事がふるさと訪問に訪れる。
  • 名誉町民の岡田国一氏が逝去する。
  • 北海道さけますふ化場中川事業場が新築される。
  • 役場庁舎が改修される。
  • 中川町自然公園が整備される。

1987(昭和62)年

  • 国営中川中央地区農地開発事業が完成する。
  • 富和トンネルが着工する。
  • 公社営畜産基地事業が採択される。
  • 中国残留日本人孤児身元引受自治体として登録される。
  • 町長に宮本弘氏が三選される。
  • 中川町地場産業研修センターが完成する。

1988(昭和63)年

  • 立石宏行氏が「第16回医療功労賞」を受賞する。
  • 道立中川商業高等学校の改築が始まる。
  • 第1回道北丸太押し相撲大会が開催される。
  • 旭川地方法務局中川出張所が美深出張所に統合される。

1989(平成元)年

  • 道立共和診療所が廃止される。
  • 中川町第3次総合振興計画が策定される。
  • 新規就農者誘致特別措置条例が施行される。
  • 塵芥焼却炉が新設される。
  • ハスカップワイン「ジュアン」が発売される。
  • 歌内郵便局が廃局となる。

1990(平成2)年

  • 立石宏行氏が中川診療所長を退任する。
  • 中川町誘致企業「田中繊維工業(株)」の立地が決定する。
  • 町内2農協が合併し、中川町農業協同組合がスタートする。
  • 若者定住センター「グリーンシャトー’91」が完成する。

1991(平成3)年

  • 町長の宮本弘氏が退任し、新町長に松田政敏氏が当選する。
  • 一般国道40号線富和トンネルが完成する。
  • 2体目のクビナガリュウ化石が発見される。
  • とうもろこしウイスキー「ミッドリバー」が発売される。

1992(平成4)年

  • 地域特別賃貸住宅「グリーンシャトー’92」が完成する。
  • 中川診療所長に平野秀樹氏が着任する。
  • 新保養施設「フィットン浴健康センター(仮称)」が着工する。
  • 中川橋が架け替えられる。
  • ふるさと創生事業として、化石写真集「蘇る化石」が発刊される。
  • 前町長の宮本弘氏が逝去する。

1993(平成5)年

  • 第25回道民スポーツ上川北部夏季大会(バドミントン、剣道、柔道)が開催される。
  • 中川町開拓90周年記念式典が挙行される。
  • 新保養施設「ポンピラアクアリズイング」がオープンする。

1994(平成6)年

  • 初の山村留学生親子として、植松さん一家が来町する。
  • 中川町持家住宅促進助成制度が創設される。
  • 中川診療所長に川埜芳照氏が着任する。

1995(平成7)年

  • 斎藤茂吉記念第1回中川町短歌フェスティバルが開催される。
  • 町長に松田政敏氏が再選される。
  • 町民プールがオープンする。
  • 農業集落排水事業が着工する。

1996(平成8)年

  • オートキャンプ場「ナポートパーク」がオープンする。
  • 宅地分譲が開始される。
  • 天塩川桜づつみモデル事業が着工する。
  • 中川浄水場が完成する。

1997(平成9)年

  • 第4次中川町農業推進計画が策定される。
  • ヨサコイソーラン「中川天龍」が結成される。
  • 天塩川リバーサイドパーク「Nタウンパークゴルフ場」が完成する。

1998(平成10)年

  • 天塩川リバーサイドパーク「Nタウンパークゴルフ場」がオープンする。
  • 第36回北海道国立幼稚園研究大会上川大会が開催される。

1999(平成11)年

  • 佐久中学校が廃校となる。
  • 第4次中川町総合計画が策定される。
  • 町長の松田政敏氏が退任し、新町長に永吉大洋氏が当選する。
  • 町内各地で大雨の被害が相次ぐ。
  • 農業集落排水事業の一部供用が始まる。

2000(平成12)年

  • 中川、佐久の両消防団が統合され、中川消防団となる。
  • 春の叙勲で前議会議長の石田兼吉氏が「勲五等双光旭日章」を受賞する。
  • 第1回「森の学校」が開校する。
  • 中川商業高等学校創立50周年記念式典が挙行される。

2001(平成13)年

  • 札幌中川会が設立される。
  • 中川町総合保健福祉センター「ぬくもり」がオープンする。
  • 下中川駅が廃止される。
  • 台風15号による大雨の被害が相次ぐ。
  • 長野県中川村姉妹町村提携20周年記念行事が行われる。

2002(平成14)年

  • 東京中川会が設立される。
  • 中川町特別養護老人ホーム「一心苑」が、社会福祉協議会に委託される。
  • 志文内峠が復元される。
  • 中川町エコミュージアムセンター「エコールなかがわ」がオープンする。
  • 天塩川100マイルカヌーツーリングが開催される。
  • 斎藤茂吉記念「第9回中川町短歌フェスティバル」に斎藤茂太氏夫妻が来町する。

2003(平成15)年

  • 道道遠別中川線が開通する。
  • 畜産基盤総合整備事業が着工する。
  • 新町長に亀井義昭氏が当選する。
  • 「道の駅なかがわ」がオープンする。
  • 中川町100周年記念式典が挙行される。
  • 名誉町民の立石宏行氏が逝去する。

2004(平成16)年

  • 台風18号による被害に見舞われる。

2005(平成17)年

  • 「行政改革に関する中間報告」が提出される。

2006(平成18)年

  • 佐久小学校が閉校となる。
  • BSE感染牛が確認される。
  • 歌内橋が完成する。
  • 中川町立診療所が完成する。
  • 共和自警団創立50周年記念式典が挙行される。

2007(平成19)年

  • 町長に亀井義昭氏が再選される。
  • 中川町食育推進計画が策定される。
  • 前町議会議長の石田兼吉氏が逝去する。
  • まちづくり参加条例が制定される。
  • 中川町幼児センターが開所する。
  • 一般国道40号線音威子府バイパス着工式が行われ、タイムカプセルが設置される。
  • 誉大橋が通行止めとなる。

2008(平成20)年

  • 誉大橋の通行止めが解除される。
  • 共和自警団が解団する。
2009(平成21)年
  • 中央小学校の耐震補強工事が完了する。
  • アベシナイの森(旧佐久スキー場)で初の町民植樹祭が行われる。
  • エコミュージアムセンターに「安平志内薄荷蒸溜館」が完成する。
2010(平成22)年
  • 岩城克則医師が中川町立診療所に赴任する。
  • 夏期の集中豪雨により、国道40号が通行止めとなったほか、河川や農地などに甚大な被害が発生する。
  • 第4回全国水源の里シンポジウムが、美深町、音威子府村、中川町で開催される。
2011(平成23)年
  • 北海道中川商業高等学校が募集停止となる。
  • 光ファイバー網が付設され、IP告知端末機「おしらせ君」の運用が始まる。
  • 川口精雄氏が町長選挙に初当選する。
  • 中川町商工会50周年記念式典が挙行される。
  • 安川地区オフイチャシの調査が行われる。
2012(平成24)年
  • 第1回天塩川de水切り北海道大会が佐久地区天塩川にて開催される。
2013(平成25)年
  • 国立大学法人北海道大学北方生物圏フィールド科学センター森林圏ステーション北管理部と中川町が天然林の取扱いや生物多様性に配慮した森林経営をテーマとした人材交流や技術支援を目的として包括連携協定を結ぶ。
  • 消費者相談の広域化が始まる。(中川町・音威子府村・美深町・下川町・名寄市)
2014(平成26)年
  • 本田 拓医師が中川町立診療所に赴任する。
  • 中川消防が創立100周年を迎える。
  • 天塩中川駅舎が改修される。
  • グループホームひだまりがオープンする。
  • キタ調剤薬局がオープンする。
2015(平成27)年
  • 町長に川口精雄氏が再選される。
  • 廃校した旧中川商業高校校舎を利用した生涯学習センター「ちゃいむ」がオープンする。
  • 国勢調査が実施される。
2016(平成28)年
  • 世田谷区下高井戸商店街にサテライトスペース「ナカガワのナカガワ」がオープン
2017(平成29)年
  • 幼児センター竣功
  • 酒場詩人吉田類さんの「旅人類ー中川町編」を刊行。
2018(平成30)年
  • 松浦武四郎踏査記念碑を富和地区に建立。
  • 岐阜県飛騨市と「姉妹森」協定を締結。
2019(平成31)年
  • 町長に石垣寿聰氏が当選する。
  • 第7次中川町総合計画を策定(計画年度2019年度〜2023年度)
2020(令和2)年
  • 北海道日本ハムファイターズ応援大使として杉谷選手、上原選手が選ばれる。
2021(令和3)年  データなし

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